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【13ROMA留学エッセイ2010-07d】 姉弟とめぐる南東イタリア旅行「アルベロベッロ、バーリ編」
 第13回イタリア留学エッセイのラスト(4章目)です。前章「姉弟とめぐる南イタリア旅行・マテーラ編」は、コチラ。2章目の「ローマ二日目編」は、コチラ。初章の「プロローグ、ローマ編」は、コチラ。前回エッセイ「国際結婚のさまざまなかたち」は、コチラです。南東イタリア旅行もラストになりました。が、駆け足・都市詰め込みすぎるので、後日補足説明をいたします……。では、下記からどうぞ!
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 南東イタリア旅行の二日目は、朝8時すぎにマテーラとお別れをした。アルベロベッロへ向かう列車の接続の関係と、その中継地点にあたるバーリ市内観光のために早め早めの行動を余儀なくされていたのである。

 二両連結ののどかな列車で一時間強かけ、南東イタリアの一大港都市バーリに到着する。日差しは同然のように強い。まずは翌日に乗る長距離バスのポイントを確認して、観光を開始する。バーリは押さえておくスポットはあってないようなものだ。

 個人的には、海が見たかった。ローマやナポリ側の地中海と呼ばれる海ではなく、ギリシア側に面するアドリア海である。バーリから、ギリシア行の客船がでているのだ。

 海を間近にして集まる旧市街を縫うように歩き、アドリア海と対面する。汗だくの身体を木陰に隠して望む大洋は、地中海よりも蒼が濃いように見えた。この先にギリシアがあるのかと思うと、不思議な感じだ。明日は逆にナポリから、地中海を眺めるのだ。

 色の深さを目に焼き付けながら、旧市街に戻る。昼食前の時刻で、日差しが強いにもかかわらず子どもたちが肌を真っ黒に焦がしてサッカーをしている。旧市街は人気のない路地もあり、スリや追いはぎに注意が必要といわれていたが、私からすればナポリよりも断然雰囲気が良いと感じられた。ゴミひとつもなく、どの家も玄関を全開にしている。中からは昼食の支度をする音や、そこに住む家族の声が聴こえ、港街の路地を彩う。それは、私にとって、とても愛しい風景だった。訪れた教会では、結婚式が行なわれていた。

 バーリの旧市街に心を癒された後、新市街散策をはじめる。しかし、すぐシエスタがはじまる時刻となった。店はひと時中休みにはいる。ショッピングは中止となり、駅近くのジェラート屋で涼むことにした。

 次に行くアルベロベッロは、プーリア州の中腹にある。マテーラと同様、バーリから一時間半はかかり、単線の私鉄である。マテーラと似たような素朴な列車を想像していた私は、アルベロベッロ行きの最新式列車に驚いた。ローマでも見たことがないくらい清潔な車両だったのである。一瞬、ここはドイツかスイスではないかと思ったくらいだ。驚くほど快適な列車は、次駅の表示も完璧に機能しており、車窓の旅を存分に楽しんだ。アルベロベッロに近づくにつれ、特徴的な住宅様式、トゥルッリを目にする回数が増えてくる。今日のホテルも、この伝統住居をそのままコテージにしたタイプだ。小人のような家に住めると思うと、わくわくしてくる。

 アルベロベッロの駅は、これもまた新市街にある。10分ほど歩いてトゥルッリ集落に着く。ホテルの部屋は集落に点在しており、私たちが泊まる部屋は向かいが一般住居だった。トゥルッリ集落もマテーラと同じように、伝統的住居に生活する人々がいるのである。部屋はキッチンも備え付けられており、長期滞在もできる様式だった。この部屋をそのまま購入したい気持ちにかられるほど、コンパクトながら機能的につくられた住居であった。居心地の良さを感じつつも、散策にでかける。

 トゥルッリ集落は散策にちょうど良い規模で、集落内にスーパーも備えていた。夕食のレストランの目星をつけつつ、トゥルッリ兼みやげ物屋を見回る。日本人観光客が多いようで、日本語もマテーラ以上に目に付く。白い町並は日中目を刺すほどまぶしいが、夕暮れ時はやさしい感じになっていた。観光地化しているアルベロベッロは、旅行しやすい場所といえるのかもしれない。

 かわいらしい町並みを楽しんだ後は、夕食だ。トゥルッリ集落の少し高台に位置するレストランテを選ぶ。屋外テラスからトゥルッリ集落を望めるテーブルに座り、食べ物をセレクトする。前菜はマテーラと同じ手法で、一番高いアンティパストミストデッラカーサを選ぶ。意味は、このレストランの前菜盛り合わせといったところだろうか。ワインは白で、もちろんプーリア産である。

 このワインが、とてもおいしかった。ワインを得意としない弟も、このワインは喜んで飲んだ。そして、これまたパンがおいしかったのである。タラッリというプーリア州のクッキーにも似た円状のちいさな固形パンとオリーヴも添えられ、前菜がくるまでついつい多めに食べてしまった。そして前菜である。生ハムとサラミ、チーズと小魚のオイル漬け、トマトのブルスケッタなど五皿ほどが到着し、おいしく頬ばった。すると、ミートボールや煮込み料理が追加でくるではないか。またしても思いがけない量に嬉しい声をあげ、マテーラと同様においしい料理に感動した。

 今回はパスタ関係を抜き、この土地で有名な肉料理に向かう。豚肉のグリルがおすすめだということで、それを選ぶ。これもさっぱりしていておいしかった。トゥルッリ集落を眺めながらの夕食、という情景だけでも至福なのに、かつ料理がおいしい。しかも、マテーラと同様、金額が夕食のわりにそれほど高くはないのだ。この金額でこれだけの贅沢ができるとは…皆が一様にバジリカータとプーリアを絶賛していた理由がわかる。

 しっかりお腹を満たした後は、バールでのんびりカフェを一杯。人懐こいネコの親子に出会い、深夜までついつい長いこと遊んでしまった。翌朝は、少しのんびりの出発だ。

 翌朝も、これまた人懐こいネコの親子と遭遇するところからはじまった。家の扉を開けた直後に仔ネコが入りこんで、室内を探検しだしたのだ。捕まえようにも捕まえられず、仕方なく放置したまま近所のバールまで朝食にでかける。戻ってくると、家に閉じ込められたので懲りたのか、扉を開けた瞬間に飛び出していった。好奇心旺盛もほどほどに!

 さて、列車にあわせて駅に向かう。快適な車両を満喫してバーリへ舞い戻る。外は相変わらずの暑さだ。夕方からのナポリ観光は体力を要するので、バスに乗車するまではバール内でお茶をしながら涼む。乗車したバスは、空調なしで満員という少々辛いものではあったが、疲れもあって熟睡した。そうして、南東イタリアに別れを告げる。

 ローマに戻る手前にナポリ観光を強行するのは、かなり不安があった。第一、連日の猛暑と行程に体力が消耗されていること。第二は、ナポリはイタリア随一といっていいほど、軽犯罪が多発する危険地域なのである。油断していたらすぐスリに遭うような場所だ。

 だからこそ、着いた時点から気が張った。ナポリはいつ来ても猥雑な感じだ。ゴミ問題で世界的にも有名になってしまっていたが、数ヶ月前に訪れたときは綺麗になっていた。一時的にも綺麗になることを覚えたようだったが……今回来て、それはすでに過去のものになりつつあると実感する。良い意味でも悪い意味でもごちゃまぜ感があるのがナポリだ。弟も、想像していた以上に汚いといっていた。確かにマテーラもバーリもアルベロベッロもとても清潔な印象に収まっていたのだ。

 ナポリでは、グルメな弟に本場のピッツアを食べさせたいという一心があった。その通り、ココ! と、決めていたピッツェリアのピッツァに弟は感動して、私の分も食べつくす勢いで味わっていた。生地が薄く、もちもちしたピッツァ、それが本当のピッツァであろう。ナポリはピッツァ発祥の地なのである。

 それと同様に、濃いエスプレッソとナポリのお菓子も有名だ。弟にはそのどちらも食べてもらいたくて、行こうと決めていた店舗まで無理に連れまわした。満腹にお菓子をつめるということに遠慮がちだった弟も、実際にナポリ菓子を口にして「食べてよかった!」と、思ったようだ。

 食を満喫しつつ、有名な建造物を横目に海を目指す。港町ナポリならば、海を見るべきである。前日はアドリア海、本日は地中海というコースは、日本におきかえれば、日本海を見た翌日に太平洋を見る、という感じであろう。暮れる前の海岸には、水着姿のイタリア人が多く夏を楽しんでいた。ちょっと羨ましい光景だ。

 最後に、ローマへの帰路は列車を選んだ。この列車が大幅に遅延し、ローマ着は結局深夜1時を回っていた。遅延の理由は最後まで不明だった。一度状況を知ろうと列車を降りたときに、イタリア人のおっちゃん二人に声をかけられた。

「日本やドイツなんかだと起こらないけど、イタリアでは起こるんだよ」

 うなる彼に理由を訊いたところ、笑いながら、こう返ってきた。

「そりゃ、車掌が死んだんだよ!」

 もちろん、ジョークである。



◆【エッセイ14(7月後半編)】は、8月更新予定。後日バーリ以下、補足していきます。今回は本当に駆け足すぎですね……スイマセン~ 。

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by gosuiro | 2011-07-26 01:23 | ROMA留学エッセイ | Comments(0)


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