人気ブログランキング | 話題のタグを見る
【20ROMA留学エッセイ2010-10b】南イタリア(シチリア)に恋するドイツ
 イタリア留学エッセイ第20回目は、南イタリアのシチリア島を旅行したときの「ドイツ」的できごとのお話です。後日談をあとで掲載予定。前回のエッセイ「異国籍の所在のなさ」はコチラです。
【20ROMA留学エッセイ2010-10b】南イタリア(シチリア)に恋するドイツ_b0206901_022812.jpg


 10月前半に一週間弱を要して、南イタリアのシチリア島の主要どころを一気に旅行した。シチリア最大都市、パレルモへ空路ではいり、バスと列車を要してギリシア遺跡の残るアグリジェント、映画の舞台にもなった有名観光地タオルミーナ、イタリア唯一の自然世界遺産エオリア諸島、古の都シラクーサとめぐる。訪れた土地はかなり点在していたが、駆け足の旅行となったわけでもなかった。屈指のリゾート地、タオルミーナでは四泊した。遅いヴァカンスを十分に楽しめたのだ。

 そのタオルミーナではおもしろいことがいくつも起こった。バスを乗り継ぎアグリジェントから夜タオルミーナへ着いた私と友人は、宿泊予定の最上階フロアを貸すゲストハウスの大家さんと会って、翌日のエオリア諸島に備えていた。エオリア諸島では、文字通り島をめぐる。自力での観光は難しく、タオルミーナの旅行会社で、エオリア諸島のリパリ島とヴルカーノ島を訪れるオプションツアーを予約していた。それだとタオルミーナから専用のバスと船で簡単にめぐることができる。

 朝は早かった。待ち合わせ時間より少し早く着いて観光バスに乗る。ガイドのおばちゃんが早速、イタリア語、ドイツ語、英語の順でいろいろな解説をはじめた。英語よりもドイツ語が先だったのが印象的だった。10名近いのツアー参加者がいたのだが、半分以上がドイツ人だったのである。

 イタリアに観光にくるドイツ人はとても多い。ローマでそれを知っているし、プレートの表記がイタリア語(母国語)、次にドイツ語訳になっているものも時々見る。英語ではなく、ドイツ語が先なのだ。それくらいドイツの人はイタリアへ遊びに来る。

 バス車内でイタリア語よりも、ドイツ語が頻繁に飛び交うなか「ここは本当にシチリアなのか」という話を友人としつつ、一行は一時間強をかけて船の出る街へ向かった。港では、他の旅行会社が扱う同オプションツアーの客と一緒に大きな船に乗るようだった。私たちは席をとるために急いで船に乗った。全員が乗船したところで、定刻通り船がでる。満員御礼状態だ。

 私たちが乗った船内は、異様な雰囲気に包まれていた。なんせ、参加者の90%以上がドイツ人観光客だったのだ。これには私も友人も本気で驚いた。船内の会話はほぼドイツ語なのである。まったく想像していなかった状況だった。しかも、慣れれば慣れてくるほど、自分たちのいるところがイタリアのシチリア島であるはずなのに、イタリアではないドイツ語圏の船に乗っている気分になる。イタリア語が一切聞こえないのだ。もしくは、私たちは元々ドイツに住んでいて、彼らと一緒にドイツからイタリア行きの団体旅行に参加したのではないか。そうした錯覚さえ起きてくる。

 それにしても、なぜオプションツアー客がほぼ全員ドイツ人なのか。そしてなぜドイツ人が山のようにイタリアへ旅行しにくるのか。私は無性に彼らに訊ねたくなった。しかし私はドイツ語は話せない。英語も無理だ。

 しかし幸運にも、友人は英語も話すことができた。私は彼女にお願いして、「ドイツの人は、なぜこんなにもイタリアへ旅行しに来るのか」を、訊いてもらうことにした。矛先は、向かい側に座る年輩のドイツ人夫婦だ。乗船時間は長い。男性のほうは運良く英語が話せるようで、快く雑談にのってくれた。

 彼は、友人が尋ねた言葉に、少し困ったような仕草をした。

「うーん……、なんでだろうね……」

 本気で考え込んでいた。彼ら自身も、なぜイタリアにあこがれるのか、わからないのである。むしろ考えたことがなかったのだろう。合理的で理性的なものを好むはずのドイツ人も、自分たちが列挙してイタリアに訪れるわけを説明できないのである。

 ただ意味もなく憧れるのか、頭の中に「イタリアは、現在するパラダイス」と、すっかりインプットされているのか。私はその様に、ついつい笑ってしまったのである。かわいいものではないか。

 散々彼も悩んだあげく、一般論を客観的に語ってくれた。

「ハリウッドやイタリアの映画がよく見られて、イタリアの風景の素晴らしさや人間模様に憧れをもった人が、ドイツ人には多かったのだと思う。だからイタリアへ旅行しに来るんだろう」

 確かに、イタリア映画は人間味があってとても良い。タオルミーナも映画で舞台になってから観光リゾート地として有名になった。彼のいうことは一理ある。しかしそれ以上に、ドイツ人では持ち得ないイタリア人の気質に、ドイツ人たちは憧れを抱くのだろう。

 そうしたわけで、エオリア諸島日帰りツアーの日は、ずっとこの調子だった。ほぼドイツ語しか耳にしない不思議な観光となったわけである。

 イタリアに恋するドイツの人といえば、タオルミーナの夜にも素敵な出来事があった。リゾート然したタオルミーナの夜景散策に向かったついで、バールでお酒を楽しんだときのことだ。そこで偶然スロベニア人の青年と知り合った。彼の名はダニエルといい、イタリアが好きで、ローマからタオルミーナへ流れてきた絵描きだ。今は描いた絵を日々路上で観光客に売って、のんびり生活しているのだという。

 成り行きで滞在最終日の夜に、夕食会をしないかという話になった。彼は借りている家はドイツ女性のデザイナー宅だから、簡単に歓迎できるといったが、私たちは「大家さんに悪い」と返す。しかし、彼は人を招いても怒らない人だからと譲らない。とりあえずかたちだけ約束して、その夜は別れた。

 翌日、観光ついでにバールでお茶にしていたときだ。突然金髪の外国人女性に、イタリア語で親しげに声をかけられた。タオルミーナで知り合った人は数少ない。滞在して四日目だ。しかも、翌日はこの町を出ていく。
 見たこともない金髪の貴婦人に驚いた私たちに、彼女は屈託なく話し掛けてきたのだ。

「今夜、うちに遊びに来るんでしょう!」

 彼女こそが、ダニエルの大家でドイツ人デザイナーだったのである。しかし、ゲルマン系の見た目以外はすっかりイタリア人にとけ込んでいた。彼女は「ダニエルが日本人の女の子二人と仲良くなったって言うから、今見てあなたたちだとすぐわかったのよ」という。確かに……彼女のいう通り、日本人女性二人の観光は目立つだろう。観光シーズンも終盤で、いまやドイツ人だらけの町だ。

 彼女にも笑顔で楽しみにしているといわれた。行かないわけには行かず、夜は二人の言葉に甘えて夕食会をする家へ訪れた。家は一軒家で、眺めの良いところにあった。テラスが広く、とても素敵な家だった。

 夕食の品は、ダニエルと私たち三人でつくった。結局デザイナーの家主は夜調子を崩して先に寝てしまったのだが、終始和やかなムードで楽しめた。食事の後は、デザイナーの仕事場にあるソファで、長々と雑談した。本物のデザイナーの仕事部屋を見るのははじめてで、固定された二台のミシンにあふれるたくさんの布地やデザイン画に感動した。もっと眺めて記憶に焼き付けたいと思ったくらいだ。糸もアンティークな戸棚に大量の色を揃え、本物の仕事場なのに、デザイン性の高さから部屋がひとつのアートのようになっていた。

 ダニエルは地べたに座るのが好きだという。基本姿勢は地べたに座ってあぐらをかくのだそうだ。椅子は好きではないらしい。スロベニアとイタリアも土足文化だが、時おり座敷文化のほうが落ち着くという欧州人もいる。そうした人に出会うと、どこか親近感を得て、人種は違っても「人間」というくくりでは同じだもんなあ、と、しみじみしてしまうのである。

 タオルミーナはたった四泊の滞在だったが、他にも現地で生まれ育ったイタリア人と仲良くなって一緒に行動したり、人の少ない海へ泳ぎに行って、年輩のイタリア人旅行者一行の水着撮影会を眺めたり、開放感で舞い上がったドイツ人親子が全裸で泳ぎだすという目を覆いたくなる場面に出会ったり(大人の男性も女性も前もお尻も丸だしで、「ドイツ人がついに狂った。公然猥褻だけど、いいのかい!」と、陰でおおはしゃぎしていた私たち)、本当に思い出深い場所となった。

 住んでいるように過ごすというコンセプトで、四日間を大切に過ごしたタオルミーナ。わずかながらの日々で、現地に暮らす人たちと濃い交流ができたことはすごく幸運だったと思うし、彼らの素敵な人間性に感謝したい。


◆【エッセイ21(11月前半)】は、12月後半更新予定。タイトルは「日本人の印象」です。

人気ブログランキングへ にほんブログ村 海外生活ブログへ   ☆★☆ブログランキング・WEB拍手に参加中です。ポチッとご協力お願い申し上げます☆★☆
by gosuiro | 2011-12-06 23:59 | ROMA留学エッセイ | Comments(0)


<< 冬のアイルランド旅行第一幕 GROM。ジェノバで初試食でした。 >>