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【24ROMA留学エッセイ2011-12b】ひとつの出会い
 イタリア留学エッセイ第24回目一年周期のエッセイもとうとうラストになりました! 前回のエッセイ「蹂躙される土地のかなしさ」はコチラです。そして、ご訪問ならびに拍手感謝しております。ありがとうございます!
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 私は、マリナという一人の還暦を越えたイタリア女性に出会った。彼女との出会いから、本当の意味でのイタリア生活がはじまったのだと思う。もし、輪廻というものが世界を包んでいるのならば、私は来世でも彼女に会いたい。それくらい愛している存在だ。もはや、彼女と話したいがためにイタリア語を習得しているようなものだ。

 マリナと私の関係は、家主と部屋を借りる学生というものだ。私が引っ越しを考えているときに、引っ越し先のひとつとしてマリナと会ったのが、はじめての出会いである。

 あのときはイタリア語をまだほとんど理解しておらず、現地で知り合った同じ日本人留学生の友人を連れ添ってマリナの家の下見をした。はじめから彼女は友好的ではあったが、素性までは読めなかった。日本人にもいろいろな人がいるように、イタリア人のお母さんにもいろいろなひとがいる。しかも、部屋貸しに慣れている家庭は、それを副業にしている人も多く、ひとつのビジネスとして成り立っていた。つまり、外面がよくても、心の内はビジネスと切り分けている人も多いということだ。そして、そういう人ほど案外寛容的ではない。

 マリナ家の下見の時点で、彼女はイタリア人の中でも飛び抜けてキレイ好きなのはよくわかった。一方私はそこまで整理整頓が得意なタイプではない。彼女と生活と性格があうかどうか……それは、一緒に生活して見なければわからない話であった。

 彼女の家に住むことを決めてから、三ヶ月くらいで彼女の性格がよくわかるようになった。三ヶ月も要してしまったのは、住みだした当初からずっと、彼女は親切で驚くほど包容力があったからだ。やさしさには裏がある、という考え方は私の信条に反するが、異国の地で言語もままならぬまま生活していて疑心暗鬼にもなっていたのは事実だ。

 しかし、彼女はそのまま裏表のない性格だった。それ以上に、彼女の親切は私にだけでなく、すべての人に向けられていた。それは、私にとってとても好ましいことだった。しかし、一番信頼できるようになった点は、彼女が、いけないことをしっかり諭してくれる人だったからだ。ただ親切にするだけでなく、叱るときには叱る。そうして、人をよりよい方向に導くことが真のやさしさなのだとすれば、彼女はそれをとてもよく理解していた。マリナは先見の目があり、物事の道理を知っている人だった。

 なにより、マリナは好奇心旺盛だ。「家にこもっても、何も起きないし何も得られない」というのが彼女の信条だ。旅行好きで、イタリア以外にも海外旅行はたくさんしていて、英語習得に情熱を注ぐ。異国文化に接するのが好きだから、国籍や年齢関係なく友人がいた。世話焼きで話し上手なうえに、人の話をちゃんと聞く人だから彼らに本当に信頼されていた。気の配りようは、もはや日本人のレベルに値する。私はよくマリナのことを「私よりも日本人の性格してる。マリナは絶対に生まれる場所を間違えたよ」と、いっている。マリナも、日本文化に触れるたび、自分の性格にあっていると痛感するらしく、「私に違う人生があったとすれば、絶対に日本人だ」と、よく笑っていっていた。本当にその通りだ。

 なんせ彼女は、夏の夜、居間の床でごろごろしながらテレビを見るのが好きなのである。当然家は土足生活だ。だが、マリナ家はこまめに床掃除をしていることもあって、素足でも生活できるほどキレイだった。おそらく彼女が床で寝っころがるのが好きだからというのもあるのだろう。暑い夜は床がひんやりしていたから、彼女はシーツを敷いてごろごろしていたものだ。おそらく彼女は畳生活を喜んで受け入れられるのだろう。

 さらに、健康オタクで自然の健康食材を愛していた。何と何は一緒に食べたら体に悪い、これは何に効くなど切々と私に教えてくれた。私もそうした話は好きだったから、彼女の調理姿を見ながら多く聞いた。彼女が教えてくれるのはそれだけではなく、ヨーロッパで起こっている政治の話や、戦争の話、文化の話と多岐に渡る。

 そして、自然がとても好きな人だ。よく私を呼んで、空の色や風の音、雲のかたちに心を澄ませた。マリナの言葉の使い方は、とても詩的で好きだ。イタリア人の中でも、とても発音がキレイで言葉の使い方が上手な人なのだと思う。私によく、スラングは頼むから覚えないで使わないで、と懇願されている。おそらく私がそういった言葉を使ったら、マリナは泣くに違いない。私も愛する人を悲しませる趣味はない。

 歌や踊りも好きな彼女は、よく歌っていたし、居間で踊ることもあった。歌は本当に上手だ。歌や踊り好きは、そのまま一人娘のエレナに受け継がれて、彼女は世界中をめぐったほどの実力派ダンサーになったのだと思う。

 物事の考え方、踊りが好き、居間でごろごろするのが好き、料理が上手、人の見定め方や受け入れる態度、本当のやさしさを知っていること、依存ではないかたちで人との絆を大切にすること、自然を愛する姿。こうしたマリナの性格は、実のところ、私の本当の母親と信じられないほど同じだった。映画好きも子ども好きなところも、ユーモアとセンスのよさも私の母とマリナはそっくりだ。私の母がセレクトした土産は、彼女にはかならず大好評となったし、マリナの家を見てはじめに思ったのが「私の母親がイタリア人だったら、こんな家にしただろう」ということだった。物事の傾向が本当に似ていた。むしろ、私の本当の母親のほうが、イタリア人的性格をしている(だから、私の母親にとって日本は少し窮屈なのだと思う)。

 私は、自分の母親がどうすればいいのかわからないほど好きだ。ただ、私は彼女を、母親としてよりも一人の女性として愛している。彼女はおそらく、私を自分の娘というより「一人の人間」として育てたのだろう。母親から、母親らしい温かさをもらった覚えはほとんどない。しかし、一人の人間としてのやさしさなら多くもらった。私の母親は、我が家のボスであり正義の女神だ。よく私と父親と弟で取り合いをするほどの、精神的な大黒柱である。そんな彼女は、根が一匹狼である。卑屈でネガティブなものを嫌い、人にたいして等しく接することのできる人だ。本当に尊敬できるし、その心意気に憧れる。

 そして、マリナも同じ人種だった。私は自分の母親と同じような人間に出会えると思わなかった。まして、文化や言語の違う異国の地で、出会えるとは思ってもいなかった。私は幸せ者だと思うし、偶然の出会いの数々に深く感謝している。私はこの女性の子どもになりたい、という人の元に生まれることができた。そしてもうひとつ、マリナに会うためにイタリアに来ることができた。

 本当のことをいえば、マリナを日本につれて帰りたい。けれど、当たり前だがそんなことはできない。だからこそ次、イタリアに来るときは、私はマリナに会うためにイタリアに行くのだろう。彼女のためならば、何でもできるような気がする。

 それくらい愛しているんだよ、マリナ。

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by gosuiro | 2012-02-15 23:10 | ROMA留学エッセイ | Comments(0)


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