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ローマにある昔ながらの現役エレベーター!
b0206901_2259119.jpg 日本にあるエレベーターは、ほぼ全自動式が当たり前です。どんなに古くても、一応全自動。あまりピンと来ない言い方になりますが、大昔のエレベーターは元々上下運動以外はすべて手動であったはずです。古い映画などを見れば、その手のエレベーターが出てくるかと思います。ローマ(というか、欧州各地も含む)では、今でもドアが手動というエレベーターをよく見かけることができます。

 というわけで、今回は地味に私の家主、マリナ宅のマンション(イタリア語でコンドミーニオ Condominio といいます)のアンティークなエレベーターを紹介します。ローマで私の知る限り、一番年季のはいったエレベーターでございます。マリナいわく、このマンションは1950年代に建てられたと言っていましたから……つまり、ここのエレベーターは60年近く現役ということか! それはまたすごい……。

 そのエレベーターが一枚目の写真です。重厚な鉄扉ですが、さらに内側にドアがあります。ちいさいエレベーターなので、乗れて大人四人が限界です。そして、ドアはしっかり閉じていなければ動かないように設計されています。

b0206901_2259598.jpg 二枚目の写真で、鉄製のドアを開けてみます(写真の質が悪くてスイマセン~)。内部のドアは引き扉になっています。ふたつの扉を開け、中にはいってから、また二つの扉を閉めて、ボタンを押す……という行程をいちいちしなければなりません。しかも、動きが日本の古いエレベーターより遅い(笑)。

 さらに、このエレベーターは単純に上り下りしかできませんので……階の違う住人と一緒に乗ってしまった場合は、階下の住人がまず一度ボタンを押して、たどり着いたらドア開閉して、そして自分の住む階のボタンを押して、を繰り返すことになります。階上の住人と鉢合わせて、その人が先にボタンを押してしまった場合は、問答無用で自分の住む家より上の階に連れられてしまいます。まったく融通が利きません。

 個人的には、このエレベーターの化石のようなアンティークっぷりをとても愛しているのですが、このエレベーターを使うより階段で降りたほうが正直早いので(笑)、一人のときはほとんど使うことはありません。手間もスピードも嫌いではないんですけどね……実用的ではないんですよね(ここに住む皆さんは頻繁に利用していますが)。ローマのスピードを感じさせる古い文明の器機だと思っています。

b0206901_22591595.jpg 三枚目の写真はその内部です。鉄扉は閉まり、内扉は開いている状態です(このままでは動きません)。右側に見えるのが、階をあらわすボタンです。これを押して、エレベーターを希望の階まで動かします。どれも階は数字で書かれていますが、ここのエレベーター……なぜかマリナの住む階だけアルファベット表示なのです。

 彼女の住む階は「S」階。その下は普通に「4」階、「3」階と続いています。なぜマリナ宅の階だけがアルファベット表示なのか、長いこと疑問でした。そこで、彼女と一緒にエレベーターに乗ったときに尋ねてみました。

「この階が、何か特別なのかと思うでしょう? これはね、以前、5階部分のボタンが壊れて代用品を探していたときに、このSのボタンだけが型にぴったりハマったからなの。それ以来5階はS階になったの。単にそれだけよ」

 それを聞いて、なんともイタリアらしいと思いました。私の知っている実にローマらしい所以です……ちなみに、マリナは自宅がS階になったのをいいことに、「スーパーフロア」と呼んで、ラグジュアリー感を楽しんでいるそうです(笑)。VIVA ROMA!
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by gosuiro | 2011-04-27 23:50 | イタリア的雑記 | Comments(0)
【08ROMA留学エッセイ2010-04b】★ ミュージアムめぐりと再構築するという感覚
 イタリア留学エッセイの第8回目です。前回のエッセイ「欧州でルーツを探す」は、コチラ。(エッセイ番外編「イタリアの原発事情」はコチラです。)
 今回は、ローマの美術館・博物館話と、リフォームの文化についてです。読まれる方々に、イタリアと日本の生活文化の相違が学べますよう、今後も推敲を重ねます。(私は欧州比較文化、西洋哲学の体得を狙い留学しました。)それでは、下記よりどうぞ……。

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 イタリアでは年に一度、イタリア全土の国立ミュージアムの入場料がほぼすべて無料になるという、大変歓迎すべきイベントがある。私の住むローマ市には、大量のミュージアムがひしめいており、その内容も個性豊かだ。なんせ、古代から栄えている都市である。考古学のミュージアムの数も多いし、宗教画をまとめたミュージアムも多く存在している。その多くはB級ものといえるものたちだが、住んでいるのならばある程度見ておきたいと思うものだ。

 そんな欲を一気に叶えてくれる『国立ミュージアムの入場料がすべて無料』イベントに、私は嬉々として飛びついた。教えてくれたのは、いつもの通り情報通のマリナである。早速ローマにどれだけのミュージアムがあるのか、私は調べてみることにした。

 私は大抵、はじめてのミュージアムに訪れる際は、なるべく単独で行くようにしている。ミュージアムの雰囲気によって好き嫌いははっきり別れるし、人によって見方も鑑賞スピードも違うからだ。一人で見るほうが気が楽だし、展示物に集中できる。今回のように、短期間で山のようにミュージアムをまわる場合は、特にそうである。うっかり友人でも誘って連れ回してしまうのは、かわいそうであることこの上ない。

 その通り、私は結果として計19館にもわたるミュージアムを、たった三日間で見てまわった。ある程度のミュージアムが徒歩で行き来可能の位置であったとはいえ、あちこちに点在しているミュージアムを、閉館時間とにらめっこしながら巡るのはかなりの気合いを要した。雨降りの日もあったが、そこは在住者というよりも観光客の気分で乗り切る。雨の野外を歩き回る不快さより、無料でミュージアム見放題のほうがより重要なのだ。

 一週間の無料開放で、私自身が暇な日はかぎられていた。はじめの一日は、とりわけ多くのミュージアムに入館した。当然、事前に地図でどういうルートでミュージアムを見まわればいいか調べ、メモもつくっている。そうしなければ、スムーズに短期間で巡れない。

 三日間で19館も見まわった事実は、マリナをおおいに呆れさせた。あたりまえである。

「そんなに短期間で多くまわったら、内容も忘れてしまうし、どこのミュージアムがどうだったとか混乱するでしょ」

 そう彼女に言われたが、案外そうでもないのがローマのミュージアムである。なんせ全館、趣きがまったく異なるし、かならず特筆すべき部分がある。私が巡った中で、もう一度行きたいと思わせてくれたものは、ボルゲーゼ公園内にある現代美術館( Galleria Nazionale d'Arte Moderna )と、古代エルトリア人の考古学品を集めた博物館( Museo Nazionale Etrusco di Villa Giulia )、そして古代ローマの考古学展示に集中した博物館( Museo Nazionale Romano -Crypta Balbi )であった。特にこの古代ローマ博物館はとても興味深かった。説明は当然イタリア語と英語しかないのだから、双方の言語に長けていない私がわかる内容はほんの少しだ。しかし、展示品や写真、昔の絵画を見れば伝えたいことはある程度受け取れる。

 そうして知ったのは、ローマ建築における再構築の文化である。言い換えれば、再利用の文化といえるし、増築の文化でも、継ぎ足しの文化でもいい。私は、ローマの根底にある精神を、このときようやく理解したのである。

 これはどういうことかというと、簡単である。たとえば、ひとつの教会があるとする。それなりの広さがある教会だが、奥行きが増すごとに、壁の色が異なっている。まるで増築したような跡がある。

 その通り、この教会はまさしく増築を繰り返していていたのである。しかも、増築した年代の幅が気が遠くなるほど長い。たとえば、ある教会(元神殿)の正面部分が着工された年を紀元前だとする。奥行きをつける次の拡張増築は千年後、最後の増築は五百年後……という按配である。しかも、年を経て建築様式も変わるから、増築時期の推定は、使用された土や装飾で素人目にでもなんとなくわかる。要は統一性があまりないのである(それでも美しく見えるからすごいのだ)。

 イタリアでは日本のように、一度壊して更地にして立て直すという発想はない。代用できるものはそのまま増築して使い直すのである。石を使う文化だからこそ、このようなことができるのだろう。元々木の文化である日本では無理だし、多湿で地震や台風など、自然に猛威を振るわれるのがあたりまえの日本の風土で、イタリアのような発想は思いついてもできない。土地にあわないからだ。

 だからこそ、この増築文化はとても新鮮だった。元々あるものを、時代の文化にあわせて建物をリフォームしていくのである。たとえば、ヴェネチア広場にほど近い高台に、広場とカピトリーニ美術館といったミケランジェロの大理石装飾で有名なところがある。ここはミケランジェロが手がける以前に建物がすでにあり、ルネッサンスがすぎてから、ミケランジェロがリフォームして現在のようなゴシック様式が美しい大理石装飾の建物に姿を変えたのだそうだ。

 そうしたローマの建物はいくつかあるようで、絵画に以前と以後が残されていると、当時の様子がよくわかる。現在の完成された装飾しか知らない私には、その絵画は理解する上で大いに役立った。リフォームされる前の建物の姿がとても新鮮なのである。

 写真など発明されるずっと前の話になるのだから、当時の様子が描かれた絵は、当時を知る上でとても参考になる。増築文化についても、こうしたものでより実感が増した。描いて後世に当時を伝えるということは、素晴らしいことだ。無名の先人たちに感謝したい。

 こうした絵画で、さらに興味深かったものがある。フォロロマーノの遺跡の中に住む人々が描かれた絵画である。おそらく中世のものであろう。何の変哲もないものだったが、現在と大きく変わらない遺跡の中に、年代を越えて集落や市場が形成されていたのである。まるで、そびえ立つ大理石の柱たちなど存在しないかのように彼らは日々を過ごしていたのだ。

 私はこの当時の様子に、大きな衝撃を受けた。日本人ならば、邪魔だから、景観が悪いから、と、すぐさま撤去することを考えるだろう。しかし、イタリアの人々はそのまま放置して、ともに生活していたのである。おそらく、いずれ何かで使うだろうし、先人のものだし、なにより撤去は面倒だからそのままにしておこうという感覚なのだろう。

 現に、遺跡が今のように保護されるまでは、新しい建物をつくるときに材料が足らないとコロッセオなどから大理石を取って調達していたのだから、その感覚はあながち外れではないと思う。マリナとコロッセオ周辺を歩いていたときに、フォロ・ロマーノの中には昔一般家庭の集落もあって、保存のために撤去された……という話を聞いていたが、こういう意味だったのかと真に理解した。百聞は一見にしかず、とはよく言ったもので、絵画を見てようやくローマ人の持つ感覚を把握することができたのだ。

 建築文化に関して、これほどまで日本と異なるのは、気候がおおいに関係するのだろう。人間や動物はある程度土地に縛られないものだが、建物は違う。その土地や気候に沿っていなければ意味がない。

 逆をいえば、日本では欧州で見られるような密閉型の建物は合うものではないということだ。欧米文化を取り入れることが必要だったとしても、安易に欧米文化を取り入れるのではなく、ある程度環境に沿ってつくるべきだったのだろう。文面が過去形になってしまうのは、すでに日本も木や紙でつくる建築文化ではなくなってきているからである。


◆次回【エッセイ09(5月前半編)】は、4月初旬更新予定。タイトルは「サイクルロードレースのジロ・デ・イタリアを観に行こう!」です。今年も5月7日からはじまりますね~!
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by gosuiro | 2011-04-24 22:20 | ROMA留学エッセイ | Comments(0)
Pasqua週間のお菓子といえば~
b0206901_18311858.jpg 欧米でクリスマスの次に重要な行事といえば、3月~4月に行なわれる復活祭です。英語ではイースター、イタリア語ではパスクアと呼ばれ、毎年時期が移動する祝日です。とりわけ重要なのは、復活祭週の日曜日と翌日の月曜日(金曜夜と土曜もフェスタをしていますが)。月曜日はPasquetta(パスクエッタ)という名の祝日です。

 今年は中でも一番遅い復活祭週が設定されているということで、ようやく来たなーというイメージです。3月あたりからローマに観光客溢れだしたし、3月にイタリア統一150周年イベントがあったこともあってか、案外陽気な日々が続いていました。なんだかんだで毎月イベントがあったな……いや、2月は静かだったかな。

 さて、この時期に街を歩けば、いたるところで卵型のチョコレートが売られています。復活祭では、卵が一番のシンボルとされており、チョコで模した卵がたくさん売られているのです(ウサギもシンボルのひとつですが、卵ほど見かけません)。復活祭にまつわる卵は、Uova di Pasqua(復活祭の卵)と呼ばれます。一方、チョコで模した卵はSorpresa(ソルプレーサ)といいます。Sorpresaの元々の意味は「驚き」。チョコ型の卵を割ればおもちゃなどが入っていることから、その名がついたのでしょう。開けてびっくり! みたいな感じです、きっと。

b0206901_18312637.jpg 写真の一枚目にあるかわいらしいイースターチョコエッグは、発見次第即購入。妊婦のエレ姉さまに差し上げました。中身はきっとおもちゃが入っているはずです。この手のチョコは、大抵中に何かが入っていて、子どもたちだけでなく大人をも喜ばせる仕組みになっています。

 写真二枚目は、スーパーにずらーっと並んだ大型のイースターチョコエッグ。私の背丈以上で積み重ねられてる様は圧巻です。復活祭への意気込みが感じられます(笑)。キャラクターものや年齢層の高い種類のものなど、いろいろあるわけですが……私は買ったことがありません。マリナが買ってたのを食べたことはありますが、普通のチョコです。中にはおもちゃが入っていました。中身は、本当にそれぞれですが、おもちゃが多いですね。ハローキティなど、日本のキャラクターものも普通に売られています。

 復活祭の朝は、おなかがはちきれんばかりの大量の食事を頂くという習慣があります。復活祭は文字通りキリストの復活を意味し、カーニバル(謝肉祭)週間後の、約40日の自粛期間が解禁される最初の日です。それもあってか復活祭の朝食は得盛り(笑)。卵・肉(サラミなど)・チーズ・パン・ドルチェ・ドルチェ・ドルチェ~みたいなコンボが続くのです。イタリア人の皆様いわく「太るから、どうかと思うけど」と言いつつ、ドルチェだけは外さないんですよね。イタリア人の主食ですもんね、ドルチェ(微笑)。

b0206901_18311354.jpg イタリア(というか主にローマ)で、復活祭の主要なドルチェは卵型のチョコだけではありません。Colomba(コロンバ)というパンケーキのようなお菓子も必要です。大きなフェスタには、その祝い日に合ったドルチェがほぼかならずあり、イタリア的にはそのドルチェを用意する(一度でも口にする)のが必須。だってイタリア人の主食ですもんね、ドルチェ(大事なことなので二回言いますよ!)

 このコロンバというケーキは、平和の象徴であるハトを模したかたちとなっています。味はクリスマスの時期に必須のドルチェ、バンドーロやパネットーネとほぼ同じです(イタリアのクリスマス・年末話はコチラです)。三枚目の写真のように、コロンバもスーパーのあちらこちらで売られています。

 コロンバは、中にチョコクリームやらなにやら入っているものもありますが、私はアーモンドの入ったノーマルなものが好きです……。その前に、食べたら太るという話なんですけどね(復活祭前から、朝ごはんに食べてよーとマリナに言われ食べていました……そうやって私の体型がイタリア化するわけだ)。

b0206901_19463145.jpg 本当に毎回毎回フェスタの話題になると、お菓子の話をしている気がしています私。イタリア、マジで恐ろしいがっつりお菓子の国なんですね(ふんわり生クリームとか、軽いサクサクのお菓子なんてほとんど見たことがないです……フランス行ったら驚きそうです私。というか、イタリア菓子ってあまり日本に来ていない気が……きっとがっつりで、日本人には重過ぎるからだ。アレら、デザートに食べる代物じゃないもんな。苦笑)。

 最後に旅行関係のワンポイントです。復活祭週間(前後一週間を含む)は、旅行日としてまったくおすすめできません!(苦笑)。復活祭前後一週間は欧米の方々がバカンスをとる時期でもあり(日本的に言えばゴールデンウィークに近いところもある)、気持ちハイシーズンにあたります。そして旅行者が異様に増えます。

 さらに、復活祭とその翌日の月曜日は、大量の店が容赦なく臨時休業となります。ローマを旅行するならば、おすすめは復活祭後です。復活祭後は、復活祭用のお菓子がセールで売られ、卵形のチョコなどかなり安くゲットできます。お土産にピッタリなんですよー(日本向けの土産として買いあさったことがある私です)。

(ラスト写真は、ヴァチカン市国の大聖堂です。いつ見ても広すぎる。)
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by gosuiro | 2011-04-22 19:49 | イタリア的雑記 | Comments(0)
ハーブ専門店話と、小説更新のお知らせ
b0206901_18543611.jpg ローマで時々向かう専門店のひとつに、ERBORISTERIA(エルボリステリア)という舌を噛みそうなスポットがあります。写真のとおりですが、こちらはハーブ専門店。ローマでも、中心街ではあまり目にしませんが、そこそこ存在するお店です(地域密着の個人店が多いと思われます)。日本でも最近見られるようになりましたが、それよりも少し薬局のような装いがあります(イタリアにも薬局は別にあります)。日本でいえば、漢方のお店に近いかもしれません。

 取り扱っているのは、ハーブや自然派化粧品などなど。ハーブも濃縮液やサプリメントといった身体の美容・改善に有効だと思われるものが売られています。店主もハーブに詳しい人なはず。少なくとも、私の知っているところの店主は「ここの調子がよくないんだけど、何かいいハーブありますか」なんて訊けば、すぐベストなハーブ商品や効力を教えてくれます。

 とはいえ……ここもイタリア語が必須(旅行で出向かないところ)なので、私もはじめは出向くのに躊躇したものですが、マリナという肝っ玉でフレンドリーな家主のおかげで、彼女の行き着けのERBORISTERIAを紹介してもらいました。今は店主のおばさまとも顔見知りです。

 ちなみに先日、取り寄せをお願いしていたハーブ濃縮液の受け取りにERBORISTERIAへ出向いたところ……店主のおばちゃん、取り寄せ手配を忘れていました(笑)。

 多分忘れてるだろうなーと思っていたから、いいんですけどね!(だってそれがイタリアクオリティ)。その後、「お願いだから、一週間後までに確実に取り寄せて! 」と頼んだとおり、欲しかった品物をゲットできたのでよかったんですが……私はイタリアに来て、本当に寛容になったなと思います。いや、親戚の多い沖縄北部のノリに近いので、端ッからこういうのを気にしないところはありますけど(苦笑)。

 さて、重ねて小説更新のお知らせです。春の電車にまつわるお話【 シェア 】をUPしました。こちらから、読むことができます→ 【 シェア 】を読む。

 他にも小説置き場には大量の作品が閲覧可能です。また、拍手やランキングへのクリックに、いつも励まされています。本当にありがとうございます! これからもクリックをポッチリ宜しくお願いしますです。
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by gosuiro | 2011-04-17 19:10 | 小説作品更新情報 | Comments(0)
ローマでコピーをする場合、
b0206901_1038567.jpg コンビニという便利なものがないローマでも(それ以前に、欧州にはまずないと思うのですが)、どうしてもコピーが必要になる場合はコピーをするお店に赴きます。語学学校に通っていれば、スタッフにお願いしてコピーすることはできるでしょうが、やってくれそうなものも限られているし……というわけで、活用せざるを得ないのがコピー屋さんです。

 日本を基準に考えればコピーひとつするのもローマでは面倒な仕事となりますが(日本は本当に便利な国です)、紙コピー専門の店はローマのいたるところに存在しています。こうしたお店の名前はFotocopisteria(フォトコピステリア)だったような気が……イタリア語でフォトコピア(Fotocopia)がコピー用紙の意味になるので、その文字を掲げた店を探せばコピーができます多分(てきとうでスイマセン……)。

 一枚目の写真のように、店の雰囲気は基本的に殺風景です。コピーがメインのお店ですから、他は必要ないのかもしれません(インテリアの良い店もあると思いますが、私の知っているところは殺風景な店内ばかりです)。原本のコピーは、大抵スタッフの手作業で行なわれます。私がコピー屋に行った限り、自分の手でコピーを行なうようなつくりのところは見たことがありません。

b0206901_1045052.jpg そのため、まずコピーしてほしい内容をお店の人に言う必要があります。たとえば「この本の見開きページ一枚」「この紙のコピー二枚」などといった感じです。この時点でイタリア語が必須だと思われますので、旅行者にはあまり適さない場所かもしれません……旅行の際は、事前に日本でコピー、またはホテルにお願いするのがベストです(苦笑)。

 さて、このコピーは一枚から可能で、金額も一枚10セントから20セント程度。日本でコピーするのよりは少し高いかもしれません。また白黒印刷の他にカラーもしてくれるようです(値段は知りません)。料金も掲げていないところが多いので、一枚いくらか尋ねるところからはじめなければいけません。

 印刷の具合は、その店に置いてある機種によって変わります。新しいコピー機に会えたらラッキーです。要はコピーできていれば問題ないということです(ローマという街に完璧さを求めてはいけない)。ただし、彼らはコピーする場合に、本当にそのままコピーしてくれます。ホッチキス付きならホッチキスまで留めてくれるし、原本が両面印刷ならそのとおりしてくれる。そこまでする必要ないと言えば、そのように融通利かせてくれるかもしれませんが、こうした単純作業の臨機応変に強くないお国柄だからな……。何事も日本を基準にしてはいけません。

b0206901_1049575.jpg 二枚目写真のように、私もはじめは店の人にわざわざ頼むことに抵抗があったのですが(しかも半数のスタッフが無愛想に行なうため、妙にハラハラする)、今は使い勝手も思いのほか悪くないし、案外きっちりコピーしてくれるので、気楽に使っています。日本のコンビニの使い勝手には劣りますけど……ローマにコンビニなんてつくったら、コピー機はすぐ盗まれそうだし(苦笑)。この方法が一番なのかしら。

 コピー屋さんはお店の人にコピーをお願いしなければならないため、英語が通じるところがあるのか謎なんですが……イタリア語に慣れる良い勉強の場所になります。イタリアは窓口が機械でなく人であることが多い気がします(そして対人のほうが、失敗も少ない気がするのです……無人機は壊れていることが多く融通が利かないことも多いので)。

 そうした感じで……最近のローマは復活祭(パスクア)に向けて街も彩りが少し華やかになっています。今年はイタリア統一150周年ということもあって、国旗を掲げた家や赤・白・緑の三種で店をコーディネイトしているところもあったり……スーパーや食べ物やさんはパスクアに必須のお菓子を飾っています。三枚目の写真は、卵型の包みを連ねたものがザ・パスクアという感じだったので撮りました。この中身はチョコレート。復活祭といえば、卵なのです。
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by gosuiro | 2011-04-14 10:57 | イタリア的雑記 | Comments(0)
ローマの春の花はいえば+小説更新
b0206901_2371461.jpg ローマで春によく見かける花が、今回紹介する写真の木々です。ローマの道でよく見かけるもので、春に濃いピンクの小花を咲かせます。実種は茶色の大きな薄いエンドウのような感じで、すでにいくらかの木で花とあわせ垂れ下がっていました。

 はじめは梅に似た植物だと思ったのですが、マリナに訊いたところ、この植物の名前は
Albero di Giuda (アルベロ ディ ジューダ)。和訳でユダの木です。キリスト教でシンボルのひとつと数えられる植物だということです。

 マリナいわく、キリストを裏切ったユダが首吊りに使った……というのが、名前の由来だそう。日本名を調べたところ、西洋花蘇芳という名でした。強いピンクの蘇芳花は日本であまり見たことないかも……。

 一方、桜や藤の花といった日本古来からある花は、ローマでも見ることができます。藤棚を使わず、蔓そのままにアパルタメントの壁を無造作に這う藤の花の姿は、何か私の固定概念を取り払ってくれる心地がしてとても好きです。もともと幼い頃から、藤の花は好きなんですが……。

b0206901_2375290.jpg というわけで、小説更新のお知らせです。UP作品名は【 桜満筒 】。タイトルとおり、そのまま桜が咲く時期にあてた小話です。

 こちらから、読むことができます→ 【 桜満筒 】を読む。 (他にも、ジャンル問わず書いた作品をたくさん置いております。お気軽にご閲覧くださいませ……) 

 また、拍手やブログランキングへクリックくださいます皆様に、深くお礼申し上げます。いつも本当にありがとうございます。エッセイと小説更新は毎週確実に更新いたしますので……また、ネタがあればぼちぼちローマ生活や旅行話をお伝えしようと思います。宜しくお願い申し上げます。

 さらに、何もない沖縄(北部の祖母宅)でのぐだくだ日常生活や海の色もUPしていけたらな~と考え中です。そのためには、写真を撮りにまた沖縄に行かなければ!
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by gosuiro | 2011-04-10 02:52 | 小説作品更新情報 | Comments(0)
【07ROMA留学エッセイ2010-04a】★ ルーツを探す
 先週UP予定だった、イタリア留学エッセイの第7回目です。前回のエッセイ「差別ではなく区別」は、コチラ。(エッセイ番外編「イタリアの原発事情」はコチラです。)
 今回は、復活祭(パスクア)のこと、語学学校に通った際に出会った「ルーツ」についてのお話をあわせています。読まれる方々に、イタリアと日本の生活文化の相違が学べますよう、今後も推敲を重ねます。(私は欧州比較文化、西洋哲学の体得を狙い留学しました。)それでは、下記よりどうぞ……。

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 イタリアでは、三月と十月がもっとも天気が読めない時期にあたるという。三月は「きまぐれ(気狂い)の三月」とも呼ばれ、外に出る際は傘を常備していたほうが賢い。最近は、異常気象が続くせいもあって本当に天気が読めない。用心するにこしたことはないのだ。第一、私の良く知る首都ローマには、コンビニエンスストアという便利すぎる代物は一切ない。

 三月と十月は、気象の通りにいえば季節の変わり目にあたる。サマータイムが導入されていると、それをより顕著に感じることができる。三月の終わりから夏時間に切り替わる。三月の最終土曜日は、すべての時計が一時間先に進むのだ。一方、十月の最終土曜日はまた一時間後ろに下がる。十一月になると、途端に冬が来たように感じるわけである。

 四月から夏時間の陽気に包まれる欧米では、その前後にキリスト教に関連した大規模な行事も待ち構えている。復活祭である。十字架の刑に処されたキリストが復活した日を祝う、伝統行事だ。英語ではイースターと呼ばれ、イタリアでは「パスクア(Pasqua)」という。

 パスクアはクリスマスと正月の間のような存在でもあり、大抵復活祭の日前後一週間ほどは長期休暇となりやすい。不謹慎な言い方かもしれないが、日本のゴールデンウィークに宗教行事が重なっているといえばわかりやすいだろうか。復活祭は移動祝日で、その時期は欧米の春の旅行シーズンでもあり、人の出入りが激しい。

 特にカトリックの総本山であるローマには、多くの観光客が訪れる。復活祭ではクリスマス時と同じように、ローマ法王が主体となった祭典が行なわれる。クリスマス・イヴ(イタリア語で、プリマ・ディ・ナターレ Prima di Natale)のヴァチカン市国で、巨大渦のような信仰者の列を見たが、パスクア・イヴの夜も祭典に参列しようとする多くの人々をコロッセオ付近で目にした。現地のローマ市民も多く参加していたのだろうが、私の周りのイタリア人はもっぱら家族や友人などとホームパーティをしてパスクアを祝っていた。式典はテレビ中継もされたため、私も知り合い宅で神聖な行事を鑑賞したのである。

 さて、この時期は旅行者が多いということに比例して、欧米からの短期留学生も数多くやってくる。私の通う語学学校でも、復活祭の前後から急激に留学生が増え、少人数制のクラスは定員でいっぱいになった。欧米では、旅行を兼ねた短期留学というスタイルを選ぶ人が少なくない。欧米の場合、国の言語は違えど、言語祖先はラテン語が主だ。そのため、他の欧州言語を学ぶ際、その言語が持つニュアンスを母国言語から推測しやすい。つまり、他の欧州の言語取得が容易なのである。

 少なくとも、発声法どころかアルファベット以下すべてが違う日本語ネイティブ者よりも、元から同じアルファベットを使っている他国人のほうが、イタリア語への言語理解はたやすい。私より遅く入学してきた外国人留学生が、学校だけの勉強でめきめきと上達し、私を軽く乗り越えてしまうということは多々あった。日本と欧米では文化と言語がまったく違うのだから、こればかりはどうしようもない。

 私の通う語学学校では、言語取得のレベルによってクラスが編成される。復活祭前から在するこの語学クラスは、とりわけ和気あいあいとしたクラスだった。クラスメイトには日本人もいたが、多くは欧米南米の国籍を持つ人たちで、年齢も二十代前半から六十代までと幅広く、その通りに職業もさまざまだ。大学生として、仕事合間のヴァカンス、ローマに仕事を探す第一段階として、などである。

 語学学校に在していると、かならずどうしてイタリアを選んだのかという話になる。観光を兼ねてや勉強の関係でというのが大半だが、それらの根底にはイタリアが好きだからという前提がある。他に出会った人では、仕事で必要だから、移住してきたのでイタリア語を取得しなければならないなど、必要にかられてという人もいる。

 しかし、今回のクラスメイトたちはそれとも少し違っていた。自己紹介で彼らの多くが、一様にこう言っていたのだ。

「祖先にイタリア人がいて、自分のルーツに興味を持ったから」

 今回のクラスは、とりわけアメリカから来た人が多かった。彼らの祖先をたどれば、大多数が元は他国からやってきた移民だ。アメリカは、大半が移民で形成された国なのである。祖母がイタリア人で彼女とイタリア語で会話がしたいから、母親の半分はイタリア人の血が流れていてイタリアの郷土菓子をよく食べて育ったから、祖父はイタリア人で彼からよく故郷の話を聞いて一度来てみたいと思ったから等など、イタリア語を短期で学びにきた彼らの理由は、憧れにも似たやさしいノスタルジーがこもっている。

 そして、これは自分のルーツを確認する作業でもある。人間は、どこかで自分の元となったルーツに興味をもつものだ。自分の存在意義が気になったら特にそうだろう。どんな祖先がいて、自分が生まれたのかを確認したくなるのである。

 日本であれば、親戚から話を聞くだけでなく、名字と墓にある家紋などでそれなりにルーツは探せる。しかしどちらにせよ、祖先をたどったところでそのほとんどが同じ民族、日本人である。自分の家系のルーツを調べても、より細かく祖先の職業や住んでいた地域が知れるだけで、大した面白味はない。

 一方、欧米の場合は別だ。イタリア系アメリカ人、祖父はイギリス祖母はイタリアで、住んでいるのはドイツなど、人種と国が入り乱れている。ルーツを探れば、出てくる情報の規模が半端ではないのだ。さらに、当然のことながら国と地域によって、骨格の傾向や、髪、目、肌の色など、目に見えた部分がだいぶ変わるし、名字だけでも片親が元々どこの国の人間だったか推測できる。たとえ本人が気にしていなくても、周りから少なくとも一度は「あなたはアメリカに住んでるみたいだけど、名字はドイツ響きみたいだから元々片方の先祖はドイツ系じゃないの? 」と、つっこまれるわけである。

 自分の根底を確認する旅は、多くの日本人に必要のないものだ。祖先をたどってもほとんど日本人という確固たる地位があるからだ。揺るがない基盤があるということが当たり前で、だからこそ自分の意志を主張するよりも協調に重きをおくのだろう。

 欧州の歴史を見ればわかる通り、遥か昔から散々国同士が入り乱れてきた欧米では、こうした基盤が弱い。そのため、他の誰でもない「自分」ということを第一に強調するのではないかと思う。

 こうしたルーツを必要としなくてもいいのは、日本が島国で大陸ほど人種の出入りが多くなかったからであり、奇跡的にも(第二次世界大戦の沖縄をのぞき)一度も他国に本土進攻されなかったからこそである。私たちは世界レベルで、歴史的にもとても恵まれた国なのだということを忘れてはいけない。それと同時に、この幸運が良くも悪くも日本人特有の気質を生んだのだと思うのである。



◆次回【エッセイ08(4月後半編)】は、4月下旬更新予定。タイトルは「ミュージアムめぐりと再構築」です。
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by gosuiro | 2011-04-05 12:05 | ROMA留学エッセイ | Comments(0)
【番外00ROMA留学エッセイ2011】★ イタリアの原子力について (脱原発国の言い分)
 過去に書き溜めていたイタリア留学エッセイの第7回目。……の前に、番外編をお送りします。
 今回は、イタリア人に出会えば原発話で話題がはじまるというローマ生活を見直すべく、勢いのみでうっかり書きました。かなりうっかり書いていますので……ひとつの意見として読んでいただければ幸いです。来週中に、エッセイの第7回目をUPいたします。それでは、下記よりどうぞ。
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 最近、私は日本人であることを他国人に言わないようにしていた(「私の国」と言い換えている)。原発の話は欧州でも大きな関心事で、イタリア人はおおよそおしゃべり好きだからだ。とりわけイタリア人が、イタリア語のわかる日本人と原発の話ができる機会は、そう多くはない。その中で、先日のローマで久しぶりに訪れた店の店主が、私の前で原発の話題を持ち出したのには驚いていた。私はすっかり忘れていた。彼は前から、私が日本人であることを知っていたのである。

 大抵のイタリア人の言うことは決まっている。原発はよくない。放射能は怖い。世界にとっても危険だ。今の日本は特に危険だ。私たちの国は国民投票で原発を廃止した。なぜなら原発はよくないものだからだ。

 この話になると、日本人の私は正直疲れてくる。原子力が危険なことは承知している。今後代替エネルギーの方法を一層模索しなければならないのは、全世界一致だろう。しかし、それは今回の原発事故以前から研究段階で行なわれていることだ。原子力があるから代替エネルギーの研究はしなくていい、という発想は今までもなかったはずである。

 原発事故は事態の収拾に多くの時間と人の犠牲を割き、周辺地域に多くの悪影響を残す。日本の原発事故は天災がきっかけとなったが、大きな尺度で見れば人災であることは間違いない。人災の規模が甚大であるから、原子力発電は廃するべきだというのはよくわかる。

 とはいえ、会社や人の思惑や利権もからんでいるかもしれないが、今日のエネルギー供給として原子力に頼らざるを得ない面はあるのだと思う。そうでなければ、世界にもこれほどまで原子力が普及しなかっただろう。

 私がこの話題で疲れてくるのは、彼らの発想があまりにも短絡的すぎるからだ。テレビでも日本の原発の話題でディスカッションをしていて、原発はどれだけダメなものかという原発批判が繰り返されていた。まるで、原発廃絶のイベントのようだった。

 日本人の私からすれば、原発を廃止した自分たちが正しいという、イタリアの正当化に日本の原発事故の事例が使われているようにしか見えない。日本=原発のように批判して、自分たちは違うという安心感を得たいだけのようにしか見えないのである。

 日本も情報隠蔽や情報操作をする国だと思う。だが、外国はそれ以上に風評被害の仕方が強い(今後日本の信頼回復キャンペーンは必須だろう)。物事の誇張の仕方も感情的なところがある。イタリアでは日本全土が危険という扱いだ。実際はそうではない。だが、イタリアで西日本が正常通りという報道は追加されない。

 イタリアクルーが福島に取材へ行ったテレビ番組も見たが、怖気づいていたのはイタリア人クルーだけで、取材に同行したりインタビューに応じた日本人は平静だった。イタリア番組側は、今の日本がいかに危険で絶望的な様子か報じたかったようだが(そういう番組のつくり方だった)、実際の日本人は現状をある程度理解した上で冷静に生活していたのである(そう信じている)。

 第一、日本人はイタリア人ほど慌てふためくことはない。あからさまなパニック暴徒になることは日本の国民性としてあまりない(買占めなどの静かなパニックはあるだろうが)。こうした災害や人災が起きた場合、一番危険なのはパニックが起こることである。

 イタリアは原発がないから安全だという。それは確かにそうだろう。彼らは脱原発できたと思っているのだから、「原発はよくない。日本の犯した罪は重い」と言えるのかもしれない。しかし、それは表面的な話である。

 イタリアという国は、脱原発をしたことによって(それ以外にも理由はあるだろうが)欧州でトップクラスの電気料が高い国となった。イタリアで日本並の電気量を家庭で使うと、二万三万は普通に飛ぶくらいである。国内で電気量をまかなうことができず、多くを輸入に頼っている。

 電気の購入先は、主にフランスやスイスである。フランスは世界有数の原発国だ。つまり、輸入でまかなっている電気は、原子力から生み出されたものなのである。結局のところ、イタリアで流れている電気にも、原発経由のものがあるということだ。

 どこかで原発を止めても、結果的には原発に頼らざるを得ない。こうしたことを、彼らは知らないのかもしれない。よって簡単に「原発はよくない」と簡単に言えてしまうのだろうか。

 さらに、スイスでは原子力を排する動きがあるという。これが実行されれば、余過剰分を周辺国に売ることはできなくなるという話もでている。そうなれば、イタリアは大混乱になるかもしれない。彼らがその点を気にしているのかも怪しいところだ。どちらにせよ、これらが事実ならば、イタリアもいまだ完全に脱原発はできていないといえるのだろう。

 電気供給の不安定とコスト高は、工業を成り立たせるのにネックとなる。また、イタリア国内の自動車工場が欧州の別国に移転するという話題もあった。工場移転は、こうした電気の問題もあるのかもしれない(ただ、それだけではないと思う。工場がなくなるれば、ただでさえ少ないイタリアの雇用がさらに縮小するというので、イタリアでも問題になった)。

 私としては、イタリアの人々は原発廃絶のディスカッションをするより、こうした議論をしたほうが建設的なのではないかと思うのだが……言うだけ言って安心するのはイタリアの国民性なのかもしれないと思い直して、日本人の私は黙って彼らの言い分を聞いている。私の知らないところで、こうした話題も(せめて上層部やインテリが)話していると信じている。

 これは、私自身も気をつけなければならないことだが、物事をディスカッションする場合、なるべく短絡的にならないほうがいい。欧米では、原因や理由は後付で短絡的でも、とりあえず主張が大事! という発想だが、私はあまり好きな考え方ではない。

 しかし欧州に住んでいる手前、「とりあえず主張」の精神でいなければ生活していけない。あからさまな嫌な目に遭うこともあるからだ。そもそも大概の欧米人はあまり揚げ足をとることはしないのだから、原因や理由は後回しにして主張しても許されるのである。

 日本人に対してはしないほうが好ましいことだが、その他の国の人には、とりあえず主張した者が勝ちだ。彼らはあまり主張に理論が通っていなくても気にしないのだから、好きに言えばいい。これを私は海外生活の中で学んだ。同じ日本人にも、特に知ってほしいことでもある。

 一方、海外で生活して思うことだが、日本人は、本当に献身的で我慢ができる人種だと思う。欧米など大陸思考にはいまいちない考え方である気がする(神の名の下に、というのならあるだろうが)。それに、日本は世界有数の災害国だ。私たちにとってあたりまえの台風や地震に毎年見舞われる国は、とりあえず欧州にはほぼないといっていい。これだけ気象の変化が激しい国で、よくここまで発展できたと感動してしまうし、日本の国民性は自然の脅威から培われていると本当に思う。

 忍耐と自己犠牲は、日本では美徳に近い。しかし、他国でそれを体得しようという国民性はあまりない。そのため、世界基準で日本を見ると、我慢上手で主張することが美徳ではない日本の気風は、他の国々から扱いやすくとられ、逆にいいようにされてしまうのではないか。そうハラハラしてしまう自分もいるのである(そうした意味では、グローバル化は重要だと思っている)。

 ここまで私がローマに住んで感じたことを書いたが、周囲は原発のことを言いながらも「日本には憧れる」という言い方もしていたので……、あの日本で原発事故が起こったということがショックでもあったんだろうな、とも少し思っている。物事が良いほうに進むよう祈る。そう、彼らは最後にいつもそう私に言っていた。



・参考資料
 ATOMICA 原子力百科事典(財団法人 高度情報科学技術研究機構)
 イタリアの原子力事情と原子力開発 

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by gosuiro | 2011-04-02 14:49 | ROMA留学エッセイ | Comments(0)