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【番外00ROMA留学エッセイ2011】★ イタリアの原子力について (脱原発国の言い分)
 過去に書き溜めていたイタリア留学エッセイの第7回目。……の前に、番外編をお送りします。
 今回は、イタリア人に出会えば原発話で話題がはじまるというローマ生活を見直すべく、勢いのみでうっかり書きました。かなりうっかり書いていますので……ひとつの意見として読んでいただければ幸いです。来週中に、エッセイの第7回目をUPいたします。それでは、下記よりどうぞ。
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 最近、私は日本人であることを他国人に言わないようにしていた(「私の国」と言い換えている)。原発の話は欧州でも大きな関心事で、イタリア人はおおよそおしゃべり好きだからだ。とりわけイタリア人が、イタリア語のわかる日本人と原発の話ができる機会は、そう多くはない。その中で、先日のローマで久しぶりに訪れた店の店主が、私の前で原発の話題を持ち出したのには驚いていた。私はすっかり忘れていた。彼は前から、私が日本人であることを知っていたのである。

 大抵のイタリア人の言うことは決まっている。原発はよくない。放射能は怖い。世界にとっても危険だ。今の日本は特に危険だ。私たちの国は国民投票で原発を廃止した。なぜなら原発はよくないものだからだ。

 この話になると、日本人の私は正直疲れてくる。原子力が危険なことは承知している。今後代替エネルギーの方法を一層模索しなければならないのは、全世界一致だろう。しかし、それは今回の原発事故以前から研究段階で行なわれていることだ。原子力があるから代替エネルギーの研究はしなくていい、という発想は今までもなかったはずである。

 原発事故は事態の収拾に多くの時間と人の犠牲を割き、周辺地域に多くの悪影響を残す。日本の原発事故は天災がきっかけとなったが、大きな尺度で見れば人災であることは間違いない。人災の規模が甚大であるから、原子力発電は廃するべきだというのはよくわかる。

 とはいえ、会社や人の思惑や利権もからんでいるかもしれないが、今日のエネルギー供給として原子力に頼らざるを得ない面はあるのだと思う。そうでなければ、世界にもこれほどまで原子力が普及しなかっただろう。

 私がこの話題で疲れてくるのは、彼らの発想があまりにも短絡的すぎるからだ。テレビでも日本の原発の話題でディスカッションをしていて、原発はどれだけダメなものかという原発批判が繰り返されていた。まるで、原発廃絶のイベントのようだった。

 日本人の私からすれば、原発を廃止した自分たちが正しいという、イタリアの正当化に日本の原発事故の事例が使われているようにしか見えない。日本=原発のように批判して、自分たちは違うという安心感を得たいだけのようにしか見えないのである。

 日本も情報隠蔽や情報操作をする国だと思う。だが、外国はそれ以上に風評被害の仕方が強い(今後日本の信頼回復キャンペーンは必須だろう)。物事の誇張の仕方も感情的なところがある。イタリアでは日本全土が危険という扱いだ。実際はそうではない。だが、イタリアで西日本が正常通りという報道は追加されない。

 イタリアクルーが福島に取材へ行ったテレビ番組も見たが、怖気づいていたのはイタリア人クルーだけで、取材に同行したりインタビューに応じた日本人は平静だった。イタリア番組側は、今の日本がいかに危険で絶望的な様子か報じたかったようだが(そういう番組のつくり方だった)、実際の日本人は現状をある程度理解した上で冷静に生活していたのである(そう信じている)。

 第一、日本人はイタリア人ほど慌てふためくことはない。あからさまなパニック暴徒になることは日本の国民性としてあまりない(買占めなどの静かなパニックはあるだろうが)。こうした災害や人災が起きた場合、一番危険なのはパニックが起こることである。

 イタリアは原発がないから安全だという。それは確かにそうだろう。彼らは脱原発できたと思っているのだから、「原発はよくない。日本の犯した罪は重い」と言えるのかもしれない。しかし、それは表面的な話である。

 イタリアという国は、脱原発をしたことによって(それ以外にも理由はあるだろうが)欧州でトップクラスの電気料が高い国となった。イタリアで日本並の電気量を家庭で使うと、二万三万は普通に飛ぶくらいである。国内で電気量をまかなうことができず、多くを輸入に頼っている。

 電気の購入先は、主にフランスやスイスである。フランスは世界有数の原発国だ。つまり、輸入でまかなっている電気は、原子力から生み出されたものなのである。結局のところ、イタリアで流れている電気にも、原発経由のものがあるということだ。

 どこかで原発を止めても、結果的には原発に頼らざるを得ない。こうしたことを、彼らは知らないのかもしれない。よって簡単に「原発はよくない」と簡単に言えてしまうのだろうか。

 さらに、スイスでは原子力を排する動きがあるという。これが実行されれば、余過剰分を周辺国に売ることはできなくなるという話もでている。そうなれば、イタリアは大混乱になるかもしれない。彼らがその点を気にしているのかも怪しいところだ。どちらにせよ、これらが事実ならば、イタリアもいまだ完全に脱原発はできていないといえるのだろう。

 電気供給の不安定とコスト高は、工業を成り立たせるのにネックとなる。また、イタリア国内の自動車工場が欧州の別国に移転するという話題もあった。工場移転は、こうした電気の問題もあるのかもしれない(ただ、それだけではないと思う。工場がなくなるれば、ただでさえ少ないイタリアの雇用がさらに縮小するというので、イタリアでも問題になった)。

 私としては、イタリアの人々は原発廃絶のディスカッションをするより、こうした議論をしたほうが建設的なのではないかと思うのだが……言うだけ言って安心するのはイタリアの国民性なのかもしれないと思い直して、日本人の私は黙って彼らの言い分を聞いている。私の知らないところで、こうした話題も(せめて上層部やインテリが)話していると信じている。

 これは、私自身も気をつけなければならないことだが、物事をディスカッションする場合、なるべく短絡的にならないほうがいい。欧米では、原因や理由は後付で短絡的でも、とりあえず主張が大事! という発想だが、私はあまり好きな考え方ではない。

 しかし欧州に住んでいる手前、「とりあえず主張」の精神でいなければ生活していけない。あからさまな嫌な目に遭うこともあるからだ。そもそも大概の欧米人はあまり揚げ足をとることはしないのだから、原因や理由は後回しにして主張しても許されるのである。

 日本人に対してはしないほうが好ましいことだが、その他の国の人には、とりあえず主張した者が勝ちだ。彼らはあまり主張に理論が通っていなくても気にしないのだから、好きに言えばいい。これを私は海外生活の中で学んだ。同じ日本人にも、特に知ってほしいことでもある。

 一方、海外で生活して思うことだが、日本人は、本当に献身的で我慢ができる人種だと思う。欧米など大陸思考にはいまいちない考え方である気がする(神の名の下に、というのならあるだろうが)。それに、日本は世界有数の災害国だ。私たちにとってあたりまえの台風や地震に毎年見舞われる国は、とりあえず欧州にはほぼないといっていい。これだけ気象の変化が激しい国で、よくここまで発展できたと感動してしまうし、日本の国民性は自然の脅威から培われていると本当に思う。

 忍耐と自己犠牲は、日本では美徳に近い。しかし、他国でそれを体得しようという国民性はあまりない。そのため、世界基準で日本を見ると、我慢上手で主張することが美徳ではない日本の気風は、他の国々から扱いやすくとられ、逆にいいようにされてしまうのではないか。そうハラハラしてしまう自分もいるのである(そうした意味では、グローバル化は重要だと思っている)。

 ここまで私がローマに住んで感じたことを書いたが、周囲は原発のことを言いながらも「日本には憧れる」という言い方もしていたので……、あの日本で原発事故が起こったということがショックでもあったんだろうな、とも少し思っている。物事が良いほうに進むよう祈る。そう、彼らは最後にいつもそう私に言っていた。



・参考資料
 ATOMICA 原子力百科事典(財団法人 高度情報科学技術研究機構)
 イタリアの原子力事情と原子力開発 


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by gosuiro | 2011-04-02 14:49 | ROMA留学エッセイ | Comments(0)


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