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【09ROMA留学エッセイ2010-05a】★ ジロ・デ・イタリアを現地観戦しに行こう!!
 イタリア留学エッセイの第9回目です。前回のエッセイ「ミュージアムめぐりと再構築するという感覚」は、コチラ。(エッセイ番外編「イタリアの原発事情」はコチラです。)
 本日5月7日から、イタリアのサイクルロードレース3大グラン・ツールのひとつ、ジロ・デ・イタリア Giro d'italia がはじまります! ということで、今回は去年念願かなって行ったジロ観戦レポートです。下記よりどうぞ!

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 五月といえば、サイクルロードレースが本格化する季節だ。日本ではなかなか耳慣れないスポーツかもしれないが、ようは自転車競技である。ヨーロッパで人気のあるスポーツのひとつだ。マラソンの自転車バージョンというよりは、車で砂漠を横断するパリ・ダカの自転車バージョンに近い。しかし砂漠は通らない。

 コースはもっぱら、平野と山岳の車道を使う。短距離のスプリングタイムを競うタイムトライアルは除いて、一日の走行距離は大抵二〇〇キロ前後。一日のみのワンデイレースもあれば、週一程度の休日をはさみながら、二〇日ほど延々と選手たちが競うツアー形式(ツール)もある。その場合はチーム形式だが、同時に個人戦でもある。だから、頭脳も使う。単純そうで、ひじょうに奥深い競技なのである。

 簡単にサイクルロードレースについて書いたが、毎日二〇〇キロの距離を自転車のみで走り抜けるというのは、もはや尋常ではない。しかも六時間もかけずに走り抜けるのである。選手たちの走行速度はゴール付近になると時速六〇キロほどでているそうだ。つまり、選ばれた身体能力を持った人が、並ならぬ努力をしてようやくこなせるスポーツなのである。

 人間の限界に挑戦するような過酷なスポーツだが、歴史は古く、一〇〇年前にはすでにヨーロッパに存在していた。とりわけ、ベルギーあたりに人気が高いスポーツで、イタリアでもそれなりに人気があり、レースはテレビでもよく中継されている。

 このサイクルロードレースの中でも、三大ツールと呼ばれる大規模なツアー形式のレースがある。一番有名なもので、盛夏にはじまるフランスのツールドフランス Le Tour de France、夏の締めに行われるスペインのブエルタアエスパーニャ Vuelta a España、そして先頭を切るのが、五月イタリアのジロデイタリア Giro d'italiaである。中でもジロデイタリアは、イタリアの半島を南北に網羅するため、コースの風景は格別に美しい。私がツールのテレビ観戦が好きなのは、そのレースだけでなく、その国における地域ごとの風情を同時に楽しめるからだ。

 このサイクルロードレースの楽しさを見つけたのは、私の母親だった。彼女から教わって以来、サイクルロードレースの動向はいつも気にしているし、選手たちの尋常ならぬパワーに励まされている。

 しかし、毎年見ていると、どうしても実際にレースを観戦してみたくなるのが私という人間だった。以前サッカーのセリエAにどっぷりハマっていたときも、大好きなASローマというチームの試合が見たいがために、ローマに訪れたような性格だ。好きになると、舞台の地に行きたくなる性はおさえきれず、ローマに留学した際は絶対にジロデイタリアを見に行くのだと決めていた。

 そして、例年のごとく五月にイタリアの大ツールがはじまった。コースは毎年変わっていくので、まずはローマから行きやすいところを探すことに時間をかけた。イタリアのツールは大抵北部を中心にまわることが多い。ローマ中心部がコースになったこともあるが、今回はローマのあるラツィオ州を大方逸れるコース設定だった。かろうじて、定番化している山岳コースがローマから一番近く、中でも行きやすいリエティ Rietiという町の主要道路を通るようだと判断して、リエティに行くことにした。リエティは大きくない町だが、イタリアのヘソにあたる町としてある程度名が知られている。

 リエティは、ローマ中心部からバスで一時間強ほどの内陸にある。片道四ユーロくらいで、軽く見に行くには絶好の場所だった。しかし、私の周囲にサイクルロードレース好きは一人もおらず、どういうコース順路なのか、何時に通過するのかはわからない。仕方なく場当たり的に、現地に着いてから調べることにした。幸いイタリア語もなんとなく聞き取れるようになってきて、イタリアの人に道を訪ねることも躊躇わずできるようになった頃だ。リエティ散策時間も考えて、昼までにはリエティに降り立っていた。

 リエティの中心部に差し掛かると、『ジロデイタリア、リエティへようこそ』といった感じの旗がいたるところに掲げられ、それらから私は安堵を得た。実際にリエティに着くまで、本当にリエティで観戦できるかどうかすら定かではなかったからだ。雨の予報もでていたが、雨は降っていない。

 日本人女性が一人でリエティ散策に来たということが珍しかったのか、バスを降りた途端に現地の男性たちから声をかけられた。皆一様に「こんなところまで、一人で何しに来たの」と言うのだから、「ジロデイタリアを見に。どのコースを通るか知っている? 」と逆に訊き返す。リエティはツールのコースによく使われる町のようで、皆このスポーツを知っていた。何人かの情報を元に、走行すると思われるコースとその時間を推測する。リエティは当日のコースの中では後半に位置していた。しかも、街の中心部を通るというのだからありがたい。

 リエティは大きくない町だ。城壁で囲まれた中心部は徒歩でぐるりと巡っても二時間も必要としないだろう。石畳の歴史地区を軽く散策してから、石造りの坂を上って中央の広場に戻る。日曜日ということで、店はほとんど閉まっている。かろうじて開いているバールで休憩した後は、もう一度コースの確認に向かった。

 城壁の外を沿ってコースは設定されているらしい、という情報からその付近を歩く。城壁に沿って歩いていると、ジロデイタリアを日本で観戦していたときを思い出す。そういえば、そうした城壁が続くコースをテレビ中継で毎年観ていたような気がする。その既視感は、とうとうジロデイタリアを観ることができる喜びにつながった。セリエAを観戦するよりも、ツールを観戦することは難しい。チャンスがあまりにも少ないからだ。とはいえ、観戦は無料である。

 通過時刻は15時半頃らしいという情報に誤りはなかったようで、14時をすぎた頃からコース準備と規制がはじまった。そうすると、人々もなんとなく集まってくる。ほとんどは地元の人たちのようだ。私も彼らと同様にロープで規制されたコースの外側で待機した。通過地点は、選手たちが通過する前にちょっとしたイベントがあるということを耳にしていた。テレビの中継では、そうした細かい点は放映されないのだから、すべてを楽しめるのは実際に現地に行った人たちの特権だ。

 そうはいっても、ツールは長いコース設定が基本だ。通り過ぎるのは、マラソンを観戦するよりも速い。文字通り風のように走り去られるのである。私はあらかじめ持ってきた小型ラジオの中継や、日本でテレビ中継を観ている母親と日本の携帯電話でメールのやりとりをしながら、今彼らがどの地点を走行しているか慎重に動向を見つめていた。写真を撮る気でもいたから、彼らの通る一瞬をどうしても逃したくなかったのだ。よくよく考えれば、イタリアと日本に住む親子が協力して同じものを観戦している。すごいものである。

 そうこうしていると、レース車がコースを頻繁に通るようになった。多くは、公式グッズを売る販売車だ。ナップサックに帽子やTシャツ、マグネットなどが積められ、一〇ユーロだという。喜んで家族分を購入した。これも現地観戦の醍醐味だ。

 コース上では、多くのレース宣伝車両が過ぎる。スポンサー車が連なって来ると、スタッフが沿道の人々にアルミビニールでふくらますバルーンのようなものと、ゴム製のブレスリング、飴などを配りだした。公式スポンサーのグッズなのだろう。そのコース内では、スタッフの女の子たちが、音楽とともにちょっとしたダンスをはじめる。通過前のイベントはさらっとしたものだったが、高揚感を高めるのに十分なものだった。

 そうして、選手たちが通り過ぎるのを待つ。しかし、待てどもやって来る気配はない。現地に住んでいるらしい女性が「本当に、本当に通るのよね」と、わくわく感を声ににじませて警備員に訪ねる。予想していた通過時刻は過ぎている。しかし、早いよりかは遅れているほうがいい。

 ヘリコプターの音が、上空からうるさく聞こえるようになってきた。彼らがリエティに到着するようだ。通過の瞬間を、写真におさめようとカメラを用意する。今回のステージでは直前に、通過集団が2グループに分かれているという情報を仕入れていた。二度カメラに収める機会があった。このジロデイタリアでは、初の日本人選手参戦もあったのだが(基本は、欧米人のみしか参加していない競技)、そんなことを気にしている余裕はあるはずがない。通過は一瞬なのだ。

 その通り、チーム車の通過に紛れ、選手たちが見えてきたと思ったら、瞬く間に通り過ぎ去った。本当に通って終わったのかというくらい刹那だった。しかし、証拠写真はバッチリ撮れていた。写真を見て、これはどのチームのエース選手ではないかなど推測することができる。通り過ぎてものの一〇分もたたず、撤収作業がはじまる。

 私は写真を確認しながら、バールに戻ることにした。ローマ行きのバスが来るまで、携帯していたラジオで、その後の彼らを追う。リエティを抜けると、山岳テルミニッロを登るコースとなる。登り坂のほうが、選手たちのスピードも落ちるので観戦しやすい。しかし、レースの日は山を登るバスも運休となっており、標高の高さと寒さを考慮して、山岳観戦は早々に諦めていた。結果としてそれは正解だった。

 レースの終了を耳にする前に、帰宅のバスが到着した。常になにがあるかわからないイタリアということで、バールから早々乗車ポイントに移っていた私は、それに乗る。すっかり満足していた。優勝の中継を聴きながら、安心感とともにやがて眠りに落ちた。正直、イタリア語を勉強して本当によかったと思えたのは、実はこの日がはじめてだったのである。


◆次回【エッセイ10(5月後半編)】は、5月後半更新予定。タイトルは「日本の食材がイタリア風に! 」です。

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by gosuiro | 2011-05-07 23:29 | ROMA留学エッセイ | Comments(0)


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